ハンニバル・バルカ

Bonjour, monsieur

今回は包囲殲滅戦の天才、ハンニバル・バルカを紹介したいと思う。「バル神の申し子」という意味のハンニバル古代ローマ帝国を最も苦しめた男として名高い天才です。第二次ポエニ戦争、またの名をハンニバル戦争その名の通りローマvsハンニバルといっても過言ではありません。それほどの天才ということです。彼はアルプス山脈を越えてイタリア半島に侵入し、その後10年以上にわたってローマを苦しめることになる。そんな彼が残した最高の包囲殲滅戦がカンナエの戦いだ。

紀元前216年に起こったもので、ハンニバル軍はローマ軍よりも少ない兵力しかもっていなかった。それにもかかわらず彼は包囲殲滅することを選んだ。

カルタゴ:歩兵40000

     騎兵10000

ローマ: 歩兵64000

     騎兵6000

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カンナエの戦い

はじめ彼は軍の中央部を膨らませた。これはローマ軍の重装歩兵がとても強く、彼の率いている傭兵軍団では太刀打ちできないと考えたためだ。膨らませることによって敵軍が自軍歩兵を割って後ろに回られるまでの時間を稼ごうとした。そして、自軍の有利な騎兵が敵の騎兵を打ち破って、ローマ歩兵の後ろから攻撃を加えてくれるのを待とうとした。

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カンナエの戦い 騎兵の帰還

結果として、彼の子飼いともいえるヌメディア騎兵はローマ騎兵を打ち破りローマ重装歩兵の後背を攻撃することに成功した。ローマ軍は死傷者60000、捕虜10000という、文字の通り全滅を喫した。

なぜ彼が少ない兵力でローマ軍を殲滅できたのか。それにはいくつかの要因がある。まず、騎兵においては彼のほうがローマよりも優勢だったこと。これにより彼は荒廃から攻撃を仕掛けることができた。もし、騎兵戦力が拮抗していれば完全殲滅はおろか負けていたとすら考えられる。第二に当時の戦い方として、密集した陣形でもって敵を押しまくるというのが主な戦法だった。そのため、さらに周りから圧力をかけられて、より密集してしまうと、県を鞘から抜くのさえできなくなってしまうほどの混雑状態になってしまうのではと考えられる。結果、戦うことさえままならず外側にいた兵から殺されていくということが起こったと思われる。

御覧のようにハンニバルというのは天才と呼ぶにふさわし将だった。彼にかわいそうなところが一つあるとすれば、自らの弟子ともいえるアフリカヌスと直接対決をしてしまったところにあるといえる。それもアフリカヌスの騎兵戦力の有利な状況で。こうして彼の偉大なイタリア侵攻も幕引きとなり、地中海世界はローマ一強の時代になっていった。

Bonne journee